先日読み始めて、まだ中盤といったところ。
序盤にある、ちょっとしたパズルのイベントに感心したので、紹介。
作者は井上尚美。双葉社ゲームブックシリーズの中では、人気の高い作家らしい。
ゲームブック紹介本「絶対に読みたいゲームブック40選」では、この人の作品が3作も紹介されている。
選考員の1人があからさまなファンだったとみえる。
場面は、主人公シノンが、ホメロスの本を入手するために、フリギアの谷を訪れたところ。
突如として小鬼が現れ、試練と称してパズルを出題する。
このルールが、ちょっとだけひねってあって、面白い。
ルールが、である。面白いのは。

小鬼はにいっとわらって床の上ではねた
と、あらわれたのはいくつかの水差し。大きさに大中小とあり、大は銅。中は銀、小は金でできている。どれにも葡萄酒がいっぱいに入っている。
小鬼はまずいちばん大きな銅の水差しを指した。
「これがふたつあればホメロスの大杯をちょうどいっぱいにすることができるんだが、あいにくひとつしかない」
次に中くらいの大きさの銀の水差しを指し、
「これだと5つあれば大杯をいっぱいにできるが、3つしかない」
なーるほど、よくあることさ。
井上尚美、『ヘラクレスの栄光Ⅱ 新たなる勇者』(双葉社、1989年)、19-20頁。
というわけで、試練の内容は、比を用いた算数の問題。
たしかに良くある問題なのだが、やり方が無駄に工夫してある。
ぼくが水差しに手をのばそうとしたとき、小鬼はもうひつと条件を出してきた。
「眼かくしをするんだよ。見ながらやったってなんにも試練になんないだろ」
さっと布切れでぼくの眼を覆う。
「まずおいらが最初に銅の水差しの葡萄酒を大杯にそそぐから、あとは金の水差しか銀の
井上尚美、同上、30頁
水差しかを選びな。もし、もうこれで大杯が葡萄酒でいっぱいになったと思ったら、もういいって言うんだ、あふれてもたりなくてもホメロスはごきげんをそこねると思うぜ」
シノンは、こんなふうにして、目隠しをしたまま、チャレンジさせられるのだ。
また、自分で酒を注ぐのではない点も、独特である。
水差しを選べば、あとは小鬼が勝手に注いでくれる。
小鬼は「見ながらやったってなんにも試練になんないだろ」と言う。
けれどこれは、メタ発言である。
本当は、目隠しなんてしなくたって(例えば計算用紙を使って解くようにしても)、問題として十分に成立するのだ。
なにせ、算数の問題でよくあるくらいである(そして、算数の問題であれば、注ぎ手を考慮する必要がない)。
どうしてこのようなルールのアレンジが行われたのか。
それは、ペーパーテストの問題を、実技に変換するためだ。
紙に書く形式においては、回答者が失敗するということがあり得る。
(ここで失敗というのは、誤答に限らない。計算をした結果、「正解の組み合わせではない」ことが分かるということも、失敗である)。
それに対し、目で見ながら自分で酒を注ぐのであれば、溢して失敗するような動きは、まずありえない。
解き間違えるにしたって、酒を溢すことはありえないだろう。
大杯を見ていれば、溢れそうなのだから誤りだと、明らかに分かってしまうはずなのだ。
だがゲームブックとしては、そうはいかない。
途中で失敗と分かるような状況にしてしまっては、クイズ(のゲーム化)として、成立しないのだ。
失敗する分岐も選択肢として用意し、間違えたらそこに行くようにしなければならない。
そこで考えた演出が、小鬼の目隠しなのだろう。
プレイヤーが「もういい」を選んだタイミングで、結果発表をする。
その時になって初めて、成否が分かる。
この要件を満たすには、目隠しをすることと、注ぎ手が小鬼であること、両方が必要というわけだ。
非常にロジカルな作者である。
普通にやらせたって読者は誰も責めやしないだろうに。
ところで余談だが、このパズルには、ゲームブック的な欠陥もある。
結果発表に移るための選択肢があるのだが、選択肢の番号が、3通りしかないのだ。
「酒が少なすぎて失敗」のパターンと、「多すぎて失敗」のパターンと、「成功」の分岐しかない。
この実装方法だと、酒を注いでいくうちに、飛び先の番号が、ある時点で別の番号へと変わることになる。
それが成否の境目である。
気にして見ていれば、だいたい見当がついてしまう。
まあ、この程度の問題を、指セーブゴリ押しでなきゃ解けないような人は、そうそういないのだろうけども。
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