デマ(1973年 筒井康隆 / 早川書房)ほか

ゲームブックを遊ぶときの視点

ループものだなんだって、急に何を言い出したのかと。

ここからは自戒も込めて。


ゲームブックってのは、捉え方によっては、ループものなのだ。

間違った選択肢を選べば、悉くゲームオーバーになる。
死にゲーである。

しかし、小説と違ってゲームブックは、何度も読むことで、結果を変えることができる

なんなら、正解ルートがごく狭いものであっても、総当たりすれば絶対にクリアできるのだ。


ここにちょっとややこしい問題がある。

ループしていることを、主人公は認識しないが、読者は認識しているのである。

選ばなかった選択肢を主人公は観測しないが、読者は何度もリトライする中で、さまざまなルートを俯瞰的に観測できる。


どれだけやり直すかだって、決めるのは読者だ。

神様は自分なのである。

それで、だんだん慣れてきて、何の感慨もなく選択肢を選びだすと、主人公の気持ちからはどんどん剥離していってしまうというおそれがある。


別に、プレイする度に記憶を消せというわけではない。

それに、時代による消費ペースの変化というのもあって(事前にレビューを読むだとか、配信や実況を見るだとか、攻略をチラ見するだとか)、多くの人がいま、コンテンツを無邪気に遊んではいないような時流であろうことも理解している。
これもまた、否定できるものではない。


繰り返せばいつかクリアできる。
これは、どうしてもゲームブックの前提となってしまうところだ。

だからといって、クリアルートを探すためだけにプレイするのは寂しい。

選択の結果、うまくいかないで終わることも、また文学的なのである。

大切なのは、主人公が何を見て、何を感じているのかに、思いを馳せること。

これが、ゲームブックを遊ぶ際に読者が持つべき視点だ。

「ゲームブックの歴史を追う」の目次に戻る

ページ: 1 2 3 4 5