VS ワニ

ミイラの呪い
(1995年 Jonathan Green / Puffin Books)

ゲームブック界の(私的)名文家繋がりで、「ミイラの呪い」を紹介する。

FFシリーズ、最終59巻である。

あらすじはこちら

ワニ評
「人類に振り回されるワニ」

FFシリーズは、出せば出すほど人気が下火になったことで、(公式の)邦訳は33巻で打ち切られてしまった。

従って、「ミイラの呪い」は、公式には翻訳されていない作品である。


作者のジョナサン・グリーンは、53巻にて遅ればせのデビューを果たした、「最後のFF作家」

彼がデビューから3作を著したところで、FFシリーズは一旦の打ち切りとなった(その最終作が「ミイラの呪い」)。

そして、2006年にシリーズが再開されると、グリーンはさらに4作を提供した。

再開後のシリーズは、旧作の復刻が中心となっているので、新作の出版は、ほぼグリーン1人によって支えられているような状況である。


デビュー時期のせいもあり、彼の作品は正式なルートで翻訳されたものは1冊もなかった。

が、最近になって、別シリーズではあるものの、「悪夢の国アリス」という作品が出版された。
初の(公式)翻訳作である。


グリーンの文章は、ウォーターフィールドにも負けないくらい出来がいい。

ゲームブックは、ゲームでありブックでもあるわけだが、ブーム当時の作品群はというと、どうにも、「ゲームと小説の融合」と称するには、ちょっと気が引ける感じのが大半だった。

小説らしさが足りないのだ。


「小説らしさ」を定義しだすと収集がつかなくなるので、感覚的な話になるのだが。

もしゲームブックを知らない友達に「なんか変わった小説教えてくれない?『残像に口紅を』みたいな」と尖ったリクエストをされたとして。

この条件を踏まえ、「選択肢を選んで遊ぶタイプの小説があるんだよ」などと言い、しれっと差し出しても許してもらえそうなものは、FFの邦訳作だと、「モンスター誕生」「恐怖の幻影」くらいのものである。


題材による掴み、プロットの意外性、メッセージ性。あるいは、読んでいて発見があるかどうか。

そういった、一般小説が当たり前に備えているような引きが、ゲームブックだと当たり前ではないのだ。

パラグラフを組み替えて選択式で読み進めるなんて、よっぽど実験的な小説なのだが、その良さを分かる人ばかりではない。


それが後期の未邦訳作品群になると、固まった世界観、筋の通ったプロットに、厚い描写と、小説的な作り込みがなされるようになってくる。

作風にしても、陰鬱なものが増え(「火吹山の魔法使いふたたび」など)、まるで対象年齢が一回り上がったような様変わりをするのである。挿絵もなんだか濃くなる。


さて、グリーン作品を読んだのはこれで3作目だ。

彼の特徴なのか、後期作全体の特徴なのかは知らないが、読んでみて印象に残ったのは、作中内文化の作り込みである。


初期作品群では、(スティーブ・ジャクソン作を除くと)作中内文化に深みがなかった。

文化とはアイテムに限ったことではない。

例えば、スティーブジャクソンの「ソーサリー」だと、門外不出の魔法書がある。

これは単なるアイテムのように作中で入手して利用するものではなくて、ルールブックのような立ち位置のもの。

作中世界の決まりにより、読むことができるのは、冒険に出る前の村の中だけとされている。

これがゲーム的な縛りとしても機能しているのは、流石ジャクソンといったところ。


他にも、「バルサスの要塞」では、図書室に立ち寄ることができる。

ここではバルサス攻略のヒントが掴めるようになっている。


人の暮らす世界であるから、武器や宝石だけではなく、人の考えたことを蓄積した媒体があるのである。

こういった「知恵の蓄積」が、ジャクソンの作品では上手に表現されていた。


リビングストン初期の失敗作とされる「運命の森」だと、魔法使いヤズトロモのアイテムショップがある。

彼は上着のポケットからきゃしゃな金ぶちのメガネをとり出す。それを鼻の上にのせると、椅子のそばにあるテーブルから、一枚の石版とチョークを手にとり、せっせとなにかを書きとめる。そして、君にその石版を手わたすのだ。

I・リビングストン(1983)、松坂健(訳)『運命の森』(社会思想社、1985年)、209頁。

と、冒険開始前に魔法のアイテムを購入する機会があるのだ。


運命の「森」であるから、文化を匂わせるような場面はここしかない。

それはまあ仕方がないのだが、問題は、そのラインナップの散漫さ。

どれもアイテムの説明がないので、何がなんだかわからないまま買うことになる。
そんな用途不明のアイテムが、やたらに16種類もあるのだ。

品物値段
万能薬金貨三枚
植物封じの薬金貨二枚
静けさの薬金貨三枚
毒けしの薬金貨二枚
聖なる水金貨三枚
光の指輪金貨三枚
とび跳ブーツ金貨二枚
するするロープ金貨三枚
からみ網金貨三枚
力の腕輪金貨三枚
投げ上手の手袋金貨二枚
水の探し棒金貨二枚
ニンニク玉金貨二枚
集中力のバンド金貨三枚
炎のカプセル金貨三枚
鼻用フィルター金貨三枚
I・リビングストン、同上、209-210頁。

ネーミングもなんだか、怒涛の一般名詞である。


要するに作者は、アイテムを消費するイベントを先に考え、それを解決するアイテムを冒頭で購入できるようにしたのだろう。

冒険前の布石、という意味ではソーサリーと変わらないが、背景世界との絡みが感じられないし、買い物自体の楽しさが演出できていない。

そのせいで、無理矢理に付け足したような印象になっている。


「ミイラの呪い」の作中内文化としては、オリジナルのボードゲーム「テネット」がある。

あえて説明するとしたら、フランスのボードゲーム「コリドール」を、ごくシンプルにしたような、到達系のゲームだ。

交互にコマを動かし、盤面最奥列に到達することを目標とする。

プレイヤーは、幽霊として蘇った古代の公主と、テネットで対決する。

このテネットが、簡素ながら盤面のイラストまで付いていて、良い雰囲気なのである。


ミニゲームということでいえば、「仮面の破壊者」でも、狩猟ゲームがあった。

しかしこれは、虎の狩猟というゲーム内のイベントを、ミニゲームとして表現しただけである。

「ミイラの呪い」では、ゲーム内に存在するボードゲームを、ボードゲームのままに表現している。

これが作中の古代における文化として紹介されることで、現代との対比がなされている。


というのも、「ミイラの呪い」の舞台は、作中内文化が廃れた後の世界なのである。

ここでは、文化的な人物・存在が、ことごとく虐げられている。


例えば、砂漠の片隅に、放棄された演劇場がある。そこに老人がいる。

老人は名を「クランノ」といい、会話すると敵ではない事がわかる。

かつては舞台俳優だったが、今は、見る目のない観客から逃れて、劇場で隠居しているとのことである。

彼は善良な文化人であり、貴重なアイテムをくれる。


劇場を後にすると、今度は、人語を話すマンティコアが、網にかかっているところに遭遇する。

罠猟師に捕われて、動物商市場に売られそうになっているのである。

助けるとお礼に、これまたクリアに必須のアイテムをくれる。


このマンティコアだが、妙に発達した自我がチャームポイント

自分を捕えた罠猟師に腹を立てて言うセリフが、こちらである。

「私が唯一許せないのは、彼らが作法を欠いていることだ」

露骨に高貴。


本作のワニは、陵墓(ダンジョン)の終盤、浸水迷路に登場する。

浸水迷路における最後の敵ではあるが、ボスというほどの扱いではない。

わりかしひょっこり出てくるし、同じ場所に迷い込むたび無限湧きする。

本作、ワニ以外の敵は、コブラや蜂などの毒性物が多い。
そのために中毒点という毒専用の体力点みたいなパラメータがあるくらいである。

そんな中、ワニは当然ながら無毒

どちらかといえば、弱い方の敵だ。


面白いのは、ワニの存在が宗教絡みである点。

邪教集団「コブラ教」においては、ワニが神聖な生き物とされているのだ。

狛犬みたいなもんだろうか。

これはなかなかナイスな味付けである。

というのも、実際にエジプト文明ではワニが神聖視されていたのである。


なにせ、ナイル川にナイルワニあり、だ。

川を中心に発展した文明であるから、川の捕食者たるワニは、畏怖される存在であった。

エジプトにはセベクというワニの神までいる。

セベクに祈りを捧げることで、ワニに襲われないようになると考えられていたようである。

セベクの神殿には、ワニを飼う池まであったとのこと。

本作のワニも、もしかすると邪教徒によって放し飼いにされていたのかもしれない。


作中には、セベクをモチーフとしたクラッカという神も登場する。

神殿にクラッカの小像が置いてあるが、触れてしまうと、巨大化して襲いかかってくる。
手の込んだ罠である。

例えるなら、踏み絵を踏んだら微細な棘が無数に生えていたようなもんか。

…いや、それだと逆か
踏まなきゃ首切るんだもんな。


そんなワニも今では、先述した通り、地下迷宮にひっそりと生息している。

外の世界には、ワニよりも脅威な毒性物がうようよ
人々はみるみると文化を失っていくような、殺伐とした世界。

かつての神獣も、現代世界にはもう居場所がなく、一抹の哀愁が漂っている。

現実のナイルワニも、ナイル川にダムができた影響で、エジプトでは絶滅したんだとか。


目次へ戻る


ミイラの呪い あらすじ

どくろ砂漠の南の端にかつて存在したという、ジャラッド王国。
その最後の統治者であるアクハリスは、ジャラッド史上最も残酷な暴君であった。

一五六歳にして毒殺された彼は、死にゆく際に、恐るべき呪いを残した。
彼が蘇った時には、その呪いが発動し、国々は、ハエや蛇、サソリといった生物に覆われるだろう。

…などとしっかり言い伝えられているのに、どうしてかアクハリスを復活させようという輩が。
おなじみ邪教集団である。
邪教ってなんなんですかね。一体。

一方の主人公は、乗っていた船を海賊に襲撃され、命からがら、砂漠の町ライモンへとたどり着いた。
全てを失った主人公は、高給を目当てに、志高き考古学者ジェラン・ファーのアルバイトとして雇われる。

こうして主人公は、アクハリスの復活を阻止するというさすがに割に合っていない旅へと出発する流れに。

一へ進め。

目次へ戻る

ページ: 1 2 3 4 5 6 7

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です