ファイティング・ファンタジーは浅羽莢子版も買ってね

これまで挙げた例のように、超名作とされるバルサスであっても、実は翻訳者のアシストによって名作たり得ているという側面があるのだ。

思えば、ゲームブックというのは、ゲームである以前にブックである。

文字の力・語の力・文の力に依らないことには、ゲームを表現することが根本的に不可能な媒体なのだ。

文章は、テレビゲームで言えばグラフィックに相当する。

「ファミコンの時代で十分だった」などとは言っても、ドットがグチャグチャに崩れていたら、さすがに、遊ぶに耐えない代物になってしまうだろう。

しかし、一流の文筆家であれば、情報を整理したり、言葉に色を着けたりして、ゲームをもう一段階高いレベルにまで持っていくことができるのだ。


僕はゲームブックが好きだ。
しかし、ゲームブックが特別に優れたメディアだとは思わない。

ゲームブック界には、優れた作家や翻訳家がいる。

彼らにとってただ、ゲームブックが力を発揮できる場だったのである。

僕は、ゲームブックファンというよりも、ゲームブック作家ファンだ。

どうしたって、お気にが携わったバージョンを勧めてしまうのである。

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