ここからが本題。
浅羽莢子が本作で見せた翻訳センスは、まさにプロだった。
原著の文章と比べることで、彼女がしっかりと文の意図を捉えた上で、日本語の文章に落とし込んでいたことが分かる。
英語的な語順は、正す。抽象的な説明であれば、さりげなく一語足して、意味を限定する。
直感的でない例文には、独自の解釈を添えて、イメージしやすくする。
そして特徴的なのが、語彙。
瀬田貞二以来つづくハイ・ファンタジー翻訳の伝統なのか、彼女はカタカナ英語を極力避け、日本の言葉に訳すスタイルを採るのである。
〈妖怪うつし〉の術
この術は、君が戦わなければならない妖怪と瓜二つの複製を作りだしてくれます。複製は(中略)本物の妖怪と変わりません。しかし本物と違って、君の意のままになります。
スティーブ・ジャクソン(1983)、浅羽莢子(訳)『バルサスの要塞』(社会思想社、1985年)、19頁。
つまり、妖怪ってことになる。
そう。バルサスの要塞に登場する”creatures”は、妖怪どもなのである。
パンチの効いたワードチョイスで素晴らしい。
なお、彼女に言わせると、”robber”は「追い剥ぎ」になってしまうので注意。
続く文章は、この術の活用例を述べている。
したがって、君としては、本物の妖怪と戦うように命じておいて、自分は高見の見物としゃれこむことができます。
スティーブ・ジャクソン、同上、19頁。
比較対象として、試しに、原文をGoogle翻訳にかけてみた。
すると↓のような感じであった。
ただし、複製はあなたの意志の制御下にあり、たとえば、元のクリーチャーを攻撃してから、座って戦闘を監視するように指示することができます。
※Steve Jackson (1985), The Citadel of Chaos, Penguin Books, pp.16. 2021/7/21翻訳
そもそも構文を読み誤って謎の指示を出している翻訳ちゃんなのであるが、そこは無視するとして。
注目すべき差異は、原文でいう「くつろいで見ていてもよい」(“sit back and watch”)を、浅羽は「高見の見物としゃれこむ」と訳したところ。
この文章において「座る」とか「見る」といった細部の文言は、残す必要のないもの(単なる例でしかないため)である。
忠実に訳してしまうと、むしろ、余計な混乱を生ずる。
そこを浅羽は、ぴったりな慣用表現に置き換えることで抽象化した。
非常にうまい訳である。
良いところは他にもある。
原文では「あなたの意思の支配下にあり、たとえば、」と一文で述べていたところを、浅羽訳では「君の意のままになります。したがって、君としては、」と一呼吸置いた。
これが分かりやすい。
また、「自分は高見の見物」と主語を加えたところも良い。
これによって、呪文のメリットがより明確に伝わる。
次の術がこれ↓。
〈千里眼〉の術
この術を使えば、脳の波長が変わって超能力が使えるようになり、妖怪が考えていることや、カギのかかった扉のむこうになにがあるかわかるようになります。
スティーブ・ジャクソン、上掲、19頁。
この翻訳で素晴らしいのは、呪文のメリットに着目した言い換えだ。
「超能力が使えるようになり」「わかるようになる」というのがそれ。
この部分、実は、原文の記載と異なるのだ。浅羽によるアレンジである。
E.S.P.
この呪文を使用すると、精神的な波長に変わることができます。 生き物の心を読むのに役立つかもしれませんし、鍵のかかったドアの後ろに何があるかを教えてくれるかもしれません。
※Steve Jackson, op. cit., pp.16. 2021/7/21翻訳
原文で”turn in to psychic wavelengths”が指している内容が辞書片手にもよく分からないので困る。
浅羽が「脳の波長が変わって」と訳しているので、たぶんそういうことなのだろう。
なんにせよ、脳の波長が変わることは術のメリットとは言い難い。
なので浅羽は、「超能力が使えるようになる」と補足している。
その後の例示についても、「心を読むのに役立つ」「教えてくれる」という、ばらけた表現を集約して、「〜がわかるようになる」としている。
こちらの方が、主人公にとってメリットに感じられる表現である。
思えば、プレイヤーにとってみると魔法ルールは、お品書きを読む間ずっと、大きな選択を迫られる場面なのである。
魔法は12種類もあって、あとで選び直すことはできないし、実際のプレイでどれがどう役に立つのか、ここではまだ明らかにされない。
逆に言うと、ここは、選択肢を作る側にとっても難しいところなのだ。
どれもそれなりに魅力的でなければ、選ぶ意味が薄くなり、選択肢として無駄になってしまう。
かといって、情報量を増やしすぎると、選ぶのが面倒になってしまう。
だからこそ、簡潔さを保ったままメリットを際立たせる訳し方は、とってもナイスなのである。
千里眼は、短所についてもナイスに訳されているので、紹介。
ただし、二つ以上の対象物があってそれらがきわめて近接している時は、混線して誤った情報が伝えられることもあります。
スティーブ・ジャクソン、上掲、19頁。
ここでは、「二つ以上の対象物」と「混線」の訳が優れている。
「二つ以上の対象物」は、原文だと、”more than one psychic source”であるから、「一つを超える精神媒体」といったところか。
素晴らしいのは、「一つを超える」を「二つ以上」と言い換えたことである。
どちらも同じ意味ではある。しかし、後者の方が優れている。
「二つ以上」と言えば、字面から読み手がパッとイメージするのは、二つのものである。
これであれば、「混線」のイメージに直感的に繋げることができる。
一方、「一つを超える」と訳してしまうと、読み手は、まず一つのものをイメージする。
そしてそこから、イメージの数を増やす必要がある(しかも、いくつに増すべきかは曖昧である)。
こうなると、思考のプロセスが増えてしまう。そのぶん、直感的でなくなる。
こういうことをサラッとやってのけるあたりが、実にプロである。
「混線」の訳については、原文に該当する単語がない。
これは浅羽のアレンジで付け加えたようである。
超能力に影響が生じているイメージを見事に表現しており、良いワードチョイスだ。
最後に紹介するのは、いわゆる幻術である。
〈目くらまし〉の術
これは強力な術ですが、少しばかり確実性に欠けます。これを使えばきわめて説得力のある目くらまし(たとえば君がヘビに姿を変えたとか、(中略))で相手の妖怪をだませます。しかし、もし、相手におかしいと思わせるようなこと(中略)がおこれば、その場でその術は解けてしまいます。
スティーブ・ジャクソン、上掲、19頁。
この説明文については、正直なところ、若干わかりにくいと思っている。
幻という言葉を直接的に使っていないからだ。
とはいえ、「幻術」と素直に訳されてしまえば、他の訳語と釣り合わなくなってしまうし、そもそも幻術が直感的なのはNARUTOがあるおかげなので、まあよしとする。
ここでの良訳は、「ヘビに姿を変えた」と、「相手におかしいと思わせるようなこと」だ。
原文Google翻訳だとこうなる。
Illusion
これは強力な呪文ですが、少し信頼性が低い呪文です。この呪文を通して、あなたは生き物をだますための説得力のある幻想(例えば、あなたがヘビに変わった、(略))を作り出すかもしれません。
Steve Jackson, op. cit., pp.17. 2021/7/21翻訳
浅羽訳で「ヘビに姿を変えた」とある部分は、原文としては”turned into a snake”である。
より簡単に、「ヘビになった」と言えば済むところではある。
しかしこれは幻術なのだから、本質的に視覚効果なのである。
「姿」という言葉を添えることで、そのことが強調されている。
「相手におかしいと思わせるようなこと」は、浅羽の独自解釈である。
イリュージョンを払拭するようなことが起こった場合、その呪文は即座にキャンセルされます
Steve Jackson, op. cit., pp.17. 2021/7/21翻訳
原文では、「幻を払拭するようなこと」が何なのか、定義されていない。
これでは非常に分かりづらく、一見して素人くさい文章である。
そこを浅羽は、後続の例から意図を汲み取って、補足したのだろう。良い判断である。
コメントを残す