本作は、手軽に始めることができ、かつ、目につくような不満点が少ない。
あえて失礼な言い方をする。
全てにおいて、無難以上の出来である。
そういう意味で、ゲームブックの入りとしてはベストだと僕は考えている。
ここからは、積極的に推せる長所も述べる。
本作は語り口が良い。
作者が本業小説家なだけあって、文章がうまい。軽妙で心地の良い語り口である。
ゲームブックというのは、第一印象が命だ。
第一印象というのは、ルール説明からスタート地点までで、だいたい決まってしまう。
パラグラフ一を読んで、最初の選択肢を選んだら、そこから先はもう惰性の世界である。
その点、本作は、導入の文章がうまい。
妖怪村を探検する前に
Ⅰ 君について
はっきり言って、君は少しばかり軽はずみな人間である。まっとうな人物なら、こんな無謀な探検をしたりはしないものだ。もしかしたら君は、隠れ合理主義者で、妖怪や化け物の存在を本当は信じていなかったのかもしれない。でなければ、いくら軽はずみな人間でも、あの廃村に行ってみようなどと思わないだろう。それも、わざわざ、夕暮れどきの最終バスで。
鳥井架南子、『悪夢の妖怪村』(幻想迷宮書店、2016年)、(Kindleの位置No.17)
これだけで本の空気感が伝わる。
誰にでも書けそうな平易な文章の中で、唯一、それも2段落目の頭というタイミングで、「隠れ合理主義者」というキャッチーなワードを入れてくる。プロである。
ことの起こりは、君が、月賦で最新式の小型ビデオカメラを手に入れたことであった。
鳥井架南子、同上、(Kindleの位置No.23)
「月賦」とはまた、奨学金の請求でしか見かけないようなワード。
当時においても古めかしい表現だったようで、作者はそれを、ユーモアから、あえて使ってみたとのことだ。
なかなかいい出だしである。
文体は総じて、児童文学的だ。
特に、かいけつゾロリのようなナンセンスさが魅力である(ただし下品ではない)。
出てくる妖怪は、割に友好的なものが多い。
本質的に分かり合えない回路をしているというだけで、基本的にはのどかな村である。
ガラス越しに見る建物の天井には、人工的な昼光灯が何本も輝いている。得体の知れない化け物たちのうろつく暗い廃村をさまよってきた君は、その光に故郷へ帰ったような安らぎを覚えた。
入口の、蛍光灯を内蔵したプラスチック製の看板に、「ファミリーゴースト」と書かれている。そばに小さな文字で、「開いてます、あなたのゴースト。ファミリーゴースト、いい気分」とある。
なにかと思ったら、二四時間営業のコンビニエンス・ストアだった。
鳥井架南子、同上、(Kindleの位置No.1017)
また、友好的でない妖怪にしても、恐怖描写はマイルドである。
こちらはこちらで、怪談レストランシリーズのような雰囲気だ。
懐かしくて良い。
続いて、ゲーム性の話。
本作は簡潔なルールでありながら、ほどよい遊びごたえがある。
ゲームブックのシステムといえば一般的に、メインは戦闘だ。
しかしこの戦闘システムというのが、なかなかの曲者である。
ルールを複雑化させる割に、メリットがないのだ。
言ってしまえば、今のゲームと比べると、明確に古臭く感じる。
これはアナログゲーム同士で今昔を比べてそう思うし、テレビゲームの感覚からすれば、ゲームブックの戦闘など、もはや、システムと呼べたものではない。
ただのサイコロ判定である。
戦闘に限っては、ゲームブックがドラクエより面白いということは絶対にない。
本作には、戦闘システムといった余計なものはない。
その分、メインとなるのは、謎解きである。
本作は、80年代の発売当時において「スーパー脱出ゲーム・ノベル」と銘打たれていた。
これが、まさにその通りのゲーム性なのだ。
おかげで、今でも十分に楽しめる。
本作のあらすじは一言でいうと、「妖怪村に閉じ込められてしまったので、脱出しましょう」という話である。
妖怪に遭遇したら、アイテムでイベントを解決して、村から脱出する手段のヒントをもらうことになる。
皿屋敷のオキクサンだ。
君は、どうするか。
もし、君がまだカメラを持っていれば、すばやく彼女を撮ることができるが、数えた皿の枚数が九枚に達するまでに次の行動に移らねばならない。
鳥井架南子、同上、(Kindleの位置No.1500-1502)
ちなみに、ゲームブックは源流がTRPGであるからか、よくNPCが出てくる。交渉をする場面も多い。
それが本作でいう妖怪である。ちょっとした裏事情。
「八枚、九枚」
オキクサンは、九枚目を数え終わった。
「ああ、一枚足りない」
彼女は深い苦悩に満ちた溜め息をつきながら言った。
君は、皿を買って、今持っているか。もし持っていれば、五七へ。
鳥井架南子、同上、(Kindleの位置No.269-272)
とあるから、ここに来るまでのどこかで皿を入手しておく必要がある。
皿を持っていないとゲームオーバーになる。
その場合は、気を取り直して皿を探索してこよう。スタート地点からである。
五七
「はい、一〇枚目です」「おお、なんと。一〇枚目がござりましたか」
君が、皿を差し出すと、オキクサンは、大喜びでそれを受け取った。
鳥井架南子、同上、(Kindleの位置No.479-480)
必要なアイテムそれ自体は、大抵、どこかその辺にポンと落ちている。
ツッコミ役などいない本である。
一つ一つの謎解きは複雑なわけではない。
しかし、完全クリアとなると、相応に難度が高かったりする。
それは、クリアルートを辿ることもまたパズルだからだ。
ゲームブックというのは、選択肢を選びながら、番号を辿っていくことで、スタートからゴールを目指すものだ。
その性質上、ゲームブックの多くは、各イベントが順番に、直列した構造になっている。
言い換えると、戻ることができない。
必要な情報の一部だけを得たとしても、クリアできないわけだが、一旦死ぬまではそのまま遊ぶしかないのである。
そして次のプレイにて、これまで得た情報を、正しい組み合わせ・順序に並べて、正解となるルートを改めて辿る必要がある。
これに文句を言う者は立ち去るがよい。
なんだかんだ言ってこれも、ハマる人はハマるものだ。
好み次第である。
特に本作は、クリアルートが非常に狭い。これは、脱出までの謎解きを意識した作りだからである。
そのぶん、クリアルートに乗ってからの展開は、なかなかエモい。
終盤では、引用箇所に困るような怒涛の展開となる。これは是非、自力で体験して欲しい。
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